2026年2月23日月曜日

202602_Naoki Ishihara - the legend

 往年のRCドライバー、石原直樹氏が天に召されたとのこと。御冥福をお祈りしたい。

1979年の1/8世界選手権で、非力なOSエンジンをトドロキロードエースのコーナリング性能でカバーして見事にTQを獲得、決勝ではストレートスピードが遅すぎて他車に追突され(?)、5位に終わった。

当時としては世界で日本人が上位を走るというのは画期的な出来事。これ以降、石原選手は世界的にもカリスマ的存在となった。

筆者はお話したことも無いが、初めて氏の走りを見たのは1982年の1/12全日本選手権のこと。当時高校生の筆者も地区予選を勝ち抜いて参戦したが、その走りに圧倒されてしまった。

AYKのエースドライバーの石原選手は圧倒的な走りでTQ&優勝を飾った。マシンはEXL480。「480」の名の通り、ようやく8分間レースが定着してきた頃のことである。シャーシはサスペンション機構が全く無いフラットパンで、FRPシャーシの捻じれだけがサスペンションの代わりとなっていた。

1982年の全日本は愛知県の中京競馬場の駐車場で行われた。当然アスファルトの仮設コースで、いつも自分たちが走らせているよりもかなり大きなコースだった。そのためほとんど全開で走行でき、パワーソースの差は歴然だった。

当時はマッチドバッテリーやデルタピーク充電のノウハウも無し。バッテリーの容量は1200mAh。ESCも出たばかりで高価な上に非常に大きく、巻線式を使う選手が大半だったと思う。AYKワークスはかなりのノウハウがあったのだろう。石原選手のマシンはとても速くて、8分間で27周しかできない大きなコースで1周差をつけて優勝した。

高校生の筆者もEXL480で参戦。少しでも速くできないかと、AYK製のTX100充電器のボタンを何度も押して充電したのを憶えている。順位はどのくらいだったのか、記録も記憶も無いので分からないが、恐らく真ん中よりも下だったろう。

ラジコン技術によれば1982年の参加者は66名だったらしいが、これ以降ラジコン人口が急速に増えていき、80年代後半から90年代にかけては160名規模になっていった。

電動カーの領域では、石原選手はその後、AYK製のコンポーネントを一部流用した独自設計のNX101(翌年の全日本で準優勝)と、それに続くNX201を世に送り出した。製造自体はAYKが行っていたのだと思う。

SRFではNX101をモチーフとしたSRF-NXを3年ほど前にごく少量発売したが、これを少し改良した次期型を検討中。40年以上前の基本設計であっても十分通用するNXシリーズの走りを後世に残していければと思っている。








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